地方分権の時代その理念と今後の地方自治のあり方について 平成12年6月9日

平成12年第2回定例会一般質問

地方分権の時代その理念と今後の地方自治のあり方について


1,国と地方自治との関係が上下主従の関係から対等協力の関係に変わりました。

地方分権におけるSubsidiarity「補完性」の原則をふまえ

今後の狭山市の県・国への対し方をどのように考えますか。


昨年の7月9日国会において地方分権一括法案が可決成立しました。狭山市においても、3月定例会で関連条例の改正整備がなされるなど、新しい時代の地方自治が始まったところであります。

狭山市を含めた9区選出の大野松茂代議士は、地方分権一括法案の成立を、「静かなる革命」と表現されました。政権政党の中で、地方自治の専門家として名高い同代議士から「革命」という表現が出たことに私は、驚きと同時に深い感銘を受けたました。

私たち地方行政に携わる者は、このような地方分権の時代をどのように考え取り組んで行かなくてはならないのでしょうか。私の考えを申しあげるとともに、市長のお考えについてお尋ねしてまいりたいと思います。


まずはじめに、地方分権一括法の理念についてであります。

自治省行政局が発行する、地方自治法改正説明資料によりますと、本法の理念については 「国と地方公共団体はこれまでの上下・主従の関係から、対等・協力の関係が築かれる」とされております。

これまでの法体系の、まず国があり、県があり、市町村があり、そしてその下に市民があるかの様な法体系をやめ

まず主権者である市民があり、市、県、国はそれぞれの役割において協力して市民社会の福利厚生に寄与するという形が詠われています。

その理念に基づいて、ご承知のように、国の包括的な指揮監督権の元に行われていた、機関委任事務は廃止され、また市が行っていた団体事務の県や国の関与についても制限され、市町村の行政行為は、自治事務と法定受託事務として改められました。市町村の独自性が最大限尊重されるようになったのであります。

特に自治事務については、「法定受託事務以外のすべての事柄」とされ、その中身は「住民の福祉の増進を図る地域の行政を自主的かつ総合的に実施する内容」とされています。

日常の市民生活における、重大な役割を与えられたことになります。

また、国または県の市町村に対する関与が違法または自主性及び自立性を尊重する観点から不当であった場合

国に対しては、国 地方係争処理委員会において、また県に対しては、自治紛争処理委員会において、審査を請求できる仕組みが確立し、市町村の独自性と自主性が法の名の下に保証されることになりました。

これらの状況を考えたとき、これからの時代は、間違いなく各地方自治体のあり方が試され、手腕が問われる時代に変わって参ると思われます。

この法律が本年4月1日施行し、新しい時代を迎えたこんにち町田市長は、いかなる所信をおもちでしょうかお伺いいたしたいと思います。


すでに、市長はその政治信条として、市民参加の政治の実現に努めていらっしゃるところでありますが、特に地方自治に対する法体系の理念的変化について、それをどのように生かし、市政を進めて行かれますでしょうか。

このことについて、欧米社会の市民政治の原理、Subsidearity補完性原理にもとづいてお話しいただきたいと思います。

欧米社会では、古くからキリスト教的な民主主義を背景として市民社会における補完性原理というものが確立してきたといわれています。

ただいま、お話しした、地方分権一括法の理念もそのような欧米の市民社会の形を取り入れたものとされております。

すなわちsubsidearity補完性原理とは個人のやり切れないことは家族でやり、家族でやり切れないことは地域でやり、地域でやり切れないことは市町村でやり、市町村でやり切れないことは、県がまたは、国がやる。

という風に社会構造が、相互扶助の論理で成り立っているという考え方であります。

それぞれが、自主性、主体性の中でまず課題を解決しようとし、社会はより小さな存在が自ら解決することができないときには手助けをしなければならない義務があるという考え方であります。

地方自治団体における「自己決定権と自己責任」の考え方を確立したものであります。

一方、このsubsidiarity補完性原理にはもう一つの面があります。すなわちより小さな存在が自らの力で課題を達成する事ができるときには、より大きな存在は介入してはならないという限定の原則であります。

本法において、国や県の介入について法的規制が明確化されていることは、その原理に基づいていると思います。

「自己決定と自己責任」とは、日本の社会に慣れ親しまれてきた、長ものには巻かれろ的な価値観からすると聴きようによっては、冷たく感ずる方もおられるかとも思いますが、この原理をきちんと市民社会の中に定着し民主主義と自由には、きちんとしたルールがあると言うことを、市長は何をもって示して行かれますでしょうか。

私たち市民自身は、より高度な自覚の元に民主主義を理解し、政治を生活の一部として密接に活用していかなければならないと思います。

さて、本年3月31日までの日本の社会体制はどうなっていたでしょうか、

すでに、市民社会の一般的雰囲気は、自主性と独自性が十分保証され、自由と民主主義が謳歌されているように見えますが、私も、昨年から地方行政に携わらせていただくと、法体系、自治体の事務の流れ、助成金の仕組みなど、実際には中央集権的な規範が綿々としてあるようにみうけられます。

しかし奇しくも、代議士がおっしゃったとおり、無血革命は行われたのであります。

私たち、地方行政を携わるものは、直ちに改革の著につかなければなりません。

もちろん、常に市民に身近な存在である市町村行政は、同法の施行する以前から、そして狭山市においても町田市長を始め主権者である市民の役に立つ政治を目指し、国や県の官僚機構以上に市民生活に密着した政治に取り組んでこられたことも事実であります。

一方で、中央集権的な仕組みが存在し、他方で、市民の要求と理想が混在する。そのような板挟みの中で、多くの職員の皆さんが、苦しみ、努力されてこられた事実も多数見受けられました。

市の職員に、この地方分権一括法について訪ねると、このような意見が、異口同音に帰ってきています。

「地方分権といっても財源を保証していない以上、当分の間は、同意や助言といった上部団体の介入はさけることはできない」ということでありました。


確かにその通り、それが現実だと思います。

国の財政破綻や県庁の行政の肥大化と財政危機などを、動力源とした本法は、内実において、特に財源において非常に貧しいものでありました。

このままであると、上からの革命は上部団体の行財政改革の論理の中で、市町村にそのしわ寄せをおわせるという側面が強く現れてくると思います。

埼玉県の「分権推進計画」をみると、もちろん理念としては「住民にもっとも身近である市町村の一層の充実はかる」としていますが、その内実は財源的裏付けも不十分なままに、多くの事務をセットにして押しつけるような内容といえます。

本議会は、浦和の議会ではありませんが、私はこの様な計画は白紙に戻し、もっと主権者である市民の生活に根ざした立場に立って許認可制度の改廃と、市町村への権限の移譲要件を決めるべきと考えますが市長のお考えはいかがでしょうか。

私は、あえてただいま、「浦和の県議会ではありませんが白紙に戻し」と申し上げました。しかしこの言葉は、決して自身の不見識や認識不足で申し上げているのではありません。

今動き始めた地方分権の動き、この動きは、現在までは、この理念の核心であるはずの補完性原理にもとづかない、中央集権制度の原理で動いていることをご指摘申し上げたいのであります。

きれい事を詠っても、国の財政破綻を、県の財政負担を市町村に押しつけるための地方分権であったなら、それは地方分権に名を借りた、国や県の責任逃れ以外の何者でもありません。

すなわち、私たちが今、このような現れ方をしている権限移譲の動きに対して何も言わず、黙って受け入れるようなことがあったのなら、現在の狭山市が自主的に取り組んできた行財政改革は、国や県によって介入されることになり、壊されてしまうことにもなりかねません。

県の彩の国分権推進計画で示されているような、市町村に対して過度の財政負担を強いるような。そして、市民生活にとってあまり必要のない事務をセットにまとめてた権限移譲ではなく、たとえばパスポートの交付を市町村でもできるようにするとか、そのような市民生活にとって必要な許認可の譲渡を、市町村の側から示してはいかがでしょうか。

市民の側にたって適切な主張を今このときこそ市町村がまとめ上げ県に示すときだと思います。

たとえば、県の様々な事務の移譲について、現在県が示しているように、一律普遍に定式化するのではなく、人口規模や、財政規模、地理的条件の異なるそれぞれの市町村の実状に合わせて移譲の仕組みを求めたり、財源確保の仕組みと県による十分な助成や負担を求めるなど、地方分権の主役は、主権者である市民により近い市町村であることをお示しになってはいかがと申し上げたいのであります。

また権限の移譲の方法も、一市にすべてセットにというのではなく、広域行政・市町村合併の将来を見定めながら、近隣市町村と共同で取り組む様にする事も必要と考えます。受け入れる側の市町村も実際の状況を有り体に示すことが必要であると思います。

今このときこそ、近隣市、関係市町村に働きかけ、補完性原理に則って、協力・対等の立場から、県に対し協議を申し出てはいかがでしょうか。

まさにそのような動きこそ、法の理念の本当のところでの地方分権社会の実現につながると私は確信するものでありますが、市長のお考えはいかがでしょうか。