環境学習15年を振り返る

18年前沢山のご支援で、地元の市議会議員を3期12年勤めた。議会活動時、自身の政治テーマの大きな柱は、自然保護・環境対策だった。

どうしてかと言うと、自分が大学を止め、ふるさとに戻ってきた最大の理由が、故郷への憧憬であり、子どもの頃入間川で遊んだ一つ一つのシーンであり、それこそが自分の中でどうしても捨て去ることの出来ない宝物と思えたからだった。

丁度あの時代オウム真理教事件が世を騒がせていた。自分を捨て、家族を捨て、故郷を捨ててしまうあの者達の姿に、自分の学生時代が重なった。「ふるさと」の自然体験は人一人の人生にとって掛け買いのないものなのではないだろうか。朝日新聞で作家の井上ひさし氏が事件に関し、「現代社会のふるさとの消滅がかような人間を作ったのではないか」と評した。私自身体験上疑う余地もなかった。だからこそ「ふるさと」に恩返しをしたい。

議員となり、環境事業の最初のきっかけとなったのは2000年の夏、「コクチバス」の発見だった。埼玉県で2例目のことだ。「生物多様性条約」を学び、自治体で取り組むことの意義を説いた。農林水産省からの補助金を得、流域市町村とともに早速駆除事業に取り組んだ。2001年から5年間、ブラックバスの駆除と生態調査を目的として小学校の協力の下、地引き網を行った。そのことが入間川小、入間川東小の環境学習事業の始まりだった。現都知事の小池百合子氏が環境相の時代「外来生物法」を施行する5年前のことである。

つづいて、議員として大切な政策提案が、市民と既存の環境団体による「狭山市環境基本計画」の策定。それを母体とした狭山市を代表する「さやま環境市民ネットワーク」の設立だった。しかしそれに直接取り組んだ市民一人一人は「無償の労」であり、今の世の「お役所気質」からはおおよそ想像も出来ぬ努力のたまものであった。そして現在この「さや環」こそが狭山市における環境事業の礎となっている。ふるさとの自然は一人一人の心で守られている。私も言い出しっぺの一人、放り出すことは出来ぬもの。政治の世界は己を見失ってしまうことが多い。しかし地元の自然は、自分と自分のありかを心の中に何度も何度も問い正してくれる。毎朝河川敷を歩くとそこに営まれている人の世界とは違うものに、気づき、感動し魅了される。その平行世界の中にもしかしたら、人の社会に役立つ何かが見つかるかもしれない。

Facebookに観察の記録を残すことにした。一年が経過し、残念ながらFBは個人のログが残らないこと知っ

た。そこで政治活動中に活用していた自らの名をドメインに冠したWebサイトに、入間川流域に棲息する野鳥、昆虫、魚、及び植物に関する観察ノート・画像集などFBに公表した記録を残すことにする。

個人や学校、団体などで自由に利活用して頂ければ幸いだと思っている。

2017、05、24 入間川自然観察人 伊藤 彰