国旗・国家法案と狭山市の対応について 平成11年9月9日

平成11年第3回定例会一般質問

国旗・国家法案と狭山市の対応について

まずはじめに教育長にお尋ねいたします。去る8月9日いわゆる国旗国家法案が成立いたしました。狭山市の教育行政にたずさわる皆様はこのことについてど の様に受け止めていらっしゃいますでしょうか。また現在狭山市内の学校における入学式・卒業式はどの様な状況でしょうか。国旗や国家の扱いで混乱は予想さ れますでしょうか。 さらに今後の、指導方針について何らかの変化はあるのでしょうか、特に子供達への歴史教育について私の所見と共にお尋ねいたします。

今回の法制化は、学校長の自殺という悲しむべき事件がきっかけとなりました。君が代、日の丸については、国民の中で定着している一方で、その是非につい ては、戦後50有余年にわたって、民主主義憲法下での象徴天皇制のあり方や戦前の軍国主義と平和憲法との整合性をどの様に理解するのかということなど、国 家の基本に係わる問題、近現代史の認識の問題として議論されて参りました。

残念ながら今回の法制化では、それらのことが十分な議論を経て、新しい政治の動きの中で練り上げたと言うよりもハッキリとさせることが出来なかった問題 を、現時点での法律上の整合性を求めるために行われた帰結と言わざるをえません。54年前の敗戦という現実、連合国に与えられた民主憲法と戦後民主主義の 道程の中にあっては、それもまた仕方のないことなのかもしれません。

しかしながら私はこう考えます。今回の法制化で一番大切なことは、戦前と類似した軍国主義的愛国主義を内包して、暗黙の了解のなかで国旗を掲げ、国家を斉 唱していた時代から 法律の名の下に国旗と国歌を捉える時代へ転換したことだと思います。 つまり日本の自由と民主主義の発展と定着にとっても、一つの階 梯として必要なことと考えるのです。

一方私と同世代の若者の間には、今回の決定が盗聴法案とあわせ行われている経緯を見て、なし崩し的な右傾化が進んでいるようないやな感じがするという人も 少なくありません。政治活動をしていると言うのではなくごく一般の市民であります。またちょうど子供達のお母さんお父さんの世代でもあります。 市民感情 としてこのような警戒感は私も当然必要なことと思います。国民は常に冷静に見守っています。

戦後54年曲がりなりにも日本の自由と民主主義は定着し、平和を希求するその理想も実現されて参りました。 自由と公正を保証する国家と平和を希求する理 想は私たち国民にとって掛け替えのないものであります。私はそう言う意味においてこそ、そのような国家を愛する心は本当に必要なことだとおもいます。 そ して国際化の時代、国のシンボルとして国旗・国歌とも必要であります。シンボルすなわち象徴は、何をシンボルとするのかと言うよりも何の象徴なのかと言う ことが大切なのだと思います。 私は、今回の決定に基づいて、あらためて国旗と国歌を尊重して参りたいと考えます。

むかしカールマルクスは「歴史は2度繰り返す」と言いました。「一度目は悲劇として、そして2度目は茶番として」歴史は繰り返されるそうです。 今私 は、ある種の茶番のために愛国心を標榜するつもりはありません。私が申し上げたいことは、自由と民主主義の弊害が蔓延し子供達が自由と身勝手をはき間違え たり、社会性を見失っっている現実を目のあたりにする今日、きちんとした社会観・国家観・歴史観を持たせることこそ必要なことと考えるのです。

また、「歴史は2度繰り返さない」と言う人がいます。フランスの作家ヴォルテールの言葉です。「繰り返すのは歴史ではなく人間」であると言うのです。 こ の言葉は、歴史教育の大切さと私たちの国家の主権者としての自覚・社会に対する責任の大切さを示唆していると思います。 狭山市の現実の教育の場で子供達 に国際社会に通用するきちんとした歴史教育が、大きな大きな懐を持って行われ、間違った歴史を繰り返さない人間形成に、ますますお力をそそがられる事が必 要と考えます。また私自身さらに自由と公正を保証する社会と市民政治の復権のために奉仕することをお誓いしましたうえで、この件に関する教育長のお考えを お伺いいたします。