伊 藤 あ き ら の主張  再開発に反対された方にも 推進される方にも・・・

 狭山市駅西口地区市街地再開発事業についての住民投票条例は、昨年12月14日狭山市議会最終日の審議によって、原案否決されました。「とにかく、大規模な開発は住民の意志で決して欲しい」と言う請求は全面的に間違っていると言うわけではありません。しかし狭山市が、再開発事業を決定したのは平成16年です。すでに再開発事業のための代替地の造成は、旧入間川小学校の移転以来すすみ、まもなく終わろうとしています。今ここで止めてしまっては、これまでかけてきた経費も、話し合いの努力も、できあがっている既存の事業もすべて無に帰してしまいます。

 何故この時期になってしまったのでしょうか。一つには、平成17年2月からの約20名の権利者皆さんによる「自己資産の鑑定評価が低すぎる・・・」と言う主張からでした。ここ数年で同地区の土地評価は約25%下がってしまったと伝えられています。「見直す会」の皆さんの主張は、直接議員としてお伺いしているため、その意味では理解できます。
 例えば、100人の人々が同時に車を買い換えるとします。その手続きの中で100人全員が、自分の車の鑑定評価をしてみたらどうでしょう。ある人は思ったよりも高く評価してくれたと思い、またある人は、こんなものかと思うかもしれません。そしてある方はこんなに安いものか・・・と憤り自分は一抜けると考えるかもしれません。
 車の例は法に基づいて行う事はないので、やめたければ止めればよいのでしょう。残った人たちは一緒にできる別の人たちを見つけることも可能かもしれません。

 しかし、再開発事業は違います。地域全体で行わなければ成就しないことはもとより、評価についても一定の基準に基づいて厳粛に為されなければなりません。それは、その事業の権利者補償のために税金が使われるからです。税金が使われる以上、同じ基準と法則で全員の評価をするのであり、個々の価値観に配慮し特定の人の評価を特別に高く見積もる事は出来ないのです。

 ここが再開発事業の難しいところです。一定の地域に棲み、あるいは一定の区域の土地を持っている、建物を持っている、何も持っていないけれど借地権がある。こういった立場の違う方々が一同に自分の家の建て替えを税金を使って行うと言うことが再開発事業なのです。ですから正式な評価基準日を前後して様々な想いが錯綜しないと考える方がおかしいのです。しかしこの原則は、例え地権者が、市民が、議会が、疑義を唱えたとしても、原理的には法の方に道理があると考えざるを得ません。
 そして、実は平成11年私の初当選当初、そのような「再開発の原理」を最初に伝えてくださったのは権利者さんの代表の方からでした。

 とはいえ、12月議会での議決の段階では、状況は好転していました。そもそも本当の鑑定評価は事業認可が為された昨年の7月31日から30日後と法で定められており、ようやくここで一切の憶測を越えて施工者である都市再生機構とすべての権利者が鑑定評価を元に様々な法的補償も含めて、個別の膝詰め交渉に入っています。反対を唱えた権利者さんも含めて、すべての権利者の皆さんが、再開発を行うことを前提に「権利変換」か「転出」なのかの態度表明を終え、個別の具体的交渉を行い、将来設計について個々のプランを作り始めています。

 そして、だからこそ、この段階で再開発を中止することは、もはや「見直し」ではなく間違いなく西口再開発事業の終演を意味し、権利者さんの不信をよび、市には、多大なる中断の為の損害が発生してしまうことになるのです。損害・損害賠償と言うのは、脅しとかと言うのではなく、実際の問題として、市、県、国、都市再生機構、一貫してすすめてこられた8割以上の権利者の方々の損害は、もはや住民の自治権の理想を超えた巨額な結末とならざるを得ません。昨年暮れ亡くなられた、故青島都知事が当選当時都市博中止で払わなければならなくなった代償を考えれば、決してお話ではすまされない事実と言えます。住民投票請求は、反対を前提にしたものでは無いとはいえ、万が一でもその段階での否決となれば、それだけ大変な要求だったと言うことを良く理解していただきたいと思います。

 これまで述べたことは、私は、未だ2期目の若輩議員でありますが、実は議員生活をしていると、常識と言えることなのです。そのために議員は本会議でも、常任委員会でも、特別委員会でも、都市計画審議会でも説明の機会に恵まれ、知り得る場が日々与えられ資料も情報も豊富に持っています。再開発法の原理原則、その時々の権利者の方達の気持ち、市としてやらなければならないこと。民主主義の原則、法制度の約束、これまでの経緯や自分が議会で主張してきたこと・・それをらも無視して一部の「議員」の方達が率先して「デマゴギス」の伝説をも見習い、事実を偽り反対運動を煽っていらっしゃった。彼の「議員」もまた、本来の職務はルールメーカーだったはずではないのでしょうか・・?

 また一市民として住民投票を請求された方々もいらっしゃったと思います。「市民の税金をこんなにも使って」「狭山市財政を破綻させて良いのか」・・・・とお考えになったのでしょうか。これらのご意見をお持ちの方々はもう一度きちんとしたルートから情報を入手していただきたいと思います。疑うことも大切ですが、世の中には方々の純粋な義憤をも利用するものが存在することを知っていただきたい。かつての「見直す会」代表の方は、反対運動を止める直前に「彼ら議員達はもはや市長選しか頭にない」と仰っていました。駅前整備は如何にあるべきかとの議論と、市長選とが相容れない問題となった瞬間でありました。それでも、もし嘘偽りで人々を煽動する方達の言葉を、嘘偽りを承知の上で信じていくのであれば、はたしてその方の、「議員」の「まちづくり」とは何を基準に行って行かれるのか・・・私には理解できません。

 愛する狭山のまちづくりを考えるにあたって、都市基盤整備については、常に地権者がいらっしゃることを忘れないで戴きたいとおもいます。ほとんどの権利者が推進に変わった今でも、「90億でできるものをなんでわざわざ再開発法で290億もかける必用があるのか」このようなご意見がありました。「90億円」とは議会上でも反対討論にあったとおり、権利者の生活補償を考えに入れない単なる数字の遊びでしかありません。日本は、資本主義社会であり個人の私有財産については最大限の配慮が為される制度となっているのです。「ここに広場を創るから、貴方はどいてください」「土地のお金は払います」だけでは、まちづくりの夢はあっても実現されることは永遠にありません。権利者さんの整備後の生活をいかに考えていくかが抜け落ちているのです、駅に面している権利者さんは駅前の土地を持っているが故に生活をしていけているのです。駅前の再開発ビルも造らずにどのように生活補償をしていくのでしょうか・・?「別に永遠に出来なくてもかまわないじゃない。私は西口は使わないから」?とのご意見も聞きました。民主主義社会は、言論と思想信条の自由は認められていますので、そのようなお考えは妨げませんが、私には、そのようなご意見がこれからの住民自治を考える姿勢とは思えません。

 私も今回の住民投票をめぐり様々な方達の議論を聞きました。残念ながら1970年代的な煽動の論理があまりにも流布され、今回の住民投票条例は、むしろ狭山市の住民自治と地方自治そのものを危うくする要素が大いにあったと考えています。現代は高度の情報化社会です。情報化社会の盲点は、多くの情報が流布され、その中から必ずしも正しい情報が選ばれるのではなく、都合の良い情報が選ばれてしまうことです。「バブル期の計画だ」「夕張の様な財政破綻をみよ」「ハコモノ行政を終わらせよう」その視点での検証はすでに3年も前から議会ではとり組み見直されております。このような状況下では、きちんとした情報を元に、全市民が高度な社会的意識で大衆的な判断が為されるといった住民投票の理想とはほど遠く、むしろ直接民主主義制度によって、古代ローマ帝国が滅んでいった人類史的な過ちを再び繰り返すことも決して他人事ではありません。

 21世紀の地方自治は、人々を煽って自説をごり押しするやり方ではなく、みんなのために、みんなで考える。そう言った住民自治の時代としていかなければならないはずです。そのためには市議会は例え一歩後退と言われても、厳粛な状況判断はさせていただきたいと考えます。

 最後に一つ知っていただきたいことがあります。最初に述べた厳しい土地評価の状況にあって、8割を越える権利者さんは当初より、そして今ではほとんどの権利者さんが、自己資産の評価について、満願かなわない中で、狭山市の発展のために協力しようというお気持ちをも含んでご了解に至っていることの、まさに高度の社会性と地域愛について、これらの方々の決断こそが住民自治の時代にあって必用とされている尊いものであることを、私は議員として心から感謝して止まない想いから、強く申し上げたいと想います。